| 序論 じょろん |
10月 「捕虜時代(ほりょじだい)にあらかじめ味わった人物) |
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| 私たちは神様のためになにかできる存在(そんざい)ではありません なにかしようとするのは、まちがいです。 ルカ10:25~37 律法学者(りっぽうがくしゃ)が、イエス様をためそうとして質問(しつもん)しました。 「先生。何をしたら永遠(えいえん)のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」 そのとき、イエス様が「隣人(りんじん)を愛(あい)しなさい」と言われ、強盗(ごうとう)におそわれた人のたとえを語られました。 これは、「私たちは、隣人(りんじん)を助けることができる存在(そんざい)ではない」ということです。私たちは、強盗(ごうとう)におそわれて、死(し)ぬしかない者です。ですから、あわれみをかけたサマリヤ人のような、イエス・キリストの助けを受けなさいということです。 ![]() ルカ18:18~23 ある役人(やくにん)が「私は何をしたら、永遠(えいえん)のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」と質問(しつもん)しました。 そのとき、イエス様は「あなたの持ち物を全部(ぜんぶ)売り払(はら)い、貧(まず)しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝(たから)を積(つ)むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」と言われます。 これは、神様よりこの世の多くのものに価値(かち)をおいている、2つの心を抱(いだ)いている自分を発見(はっけん)しなさいということです。神様より価値(かち)をおいている、すべてをすてて、2つの心ではなく、神様に向(む)かうひとつの心になりなさいということです。 自分がなにかできると、うまくできたと思うこと、ほこっていることをすべてすてて、本当の価値(かち)は神様だけだとまことに知りなさいということです。 ヨハネ6:28~29 5つのパンと2ひきの魚で、おなかがいっぱいになってよろこんだ人々が、イエス様をおいかけてきて、質問(しつもん)します。 「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」 そのとき、イエス様は「あなたがたが、神が遣(つか)わした者を信(しん)じること、それが神のわざです。」と言われます。 自分でなにかをするのではなく神のわざ、つまり、イエス・キリストを信(しん)じなさいということです。信仰(しんこう)が必要(ひつよう)だと言われました。 神様のために、うまくできることをして、すばらしいことをたくさんするのではありません。 きょうも、私にはイエス・キリストが必要(ひつよう)です。 イエス・キリストが主人であることを信じます。 聖霊(せいれい)で満(み)たしてください と祈(いの)ることが、私たちのすることです。 ![]() このことについて、黙想(もくそう)して、フォーラムしましょう。 |
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